イースター(復活祭)

せさみん

2008年03月24日 16:01

 昨日の日曜日はイースターと呼ばれる復活日の礼拝でした。
 教会の3大イベントの一つなので、ちぃと疲れましたが、礼拝の後でケーキやお菓子の持ち寄りをして食べて、楽しい時を過ごしました。そんなんで、たまには牧師らしくキリスト教行事の紹介などしてみます。

 イースターとは復活祭というのが正式名称です。イエス・キリストが十字架にかかって死に、墓に葬られ三日目によみがえったということを記念して行う祭りです。イースターという言い方は、ゲルマン神話の女神の名前に由来するという説もあるので、私自身はイースターという名称はそんなに好みません。教会では復活際、復活日などと言っています。
 復活したキリストはやがて天に昇りますが、それまでの間地上でしばらく活動します。その出来事がいくつか聖書に記録されています。復活祭の礼拝では、復活したキリストの言動を取り上げて、そこから現代の信者に有益なことをお話しするというのが牧師の仕事になります。

 そんなわけで復活の出来事は毎年勉強してお話しするので、ネタが尽きるんじゃないかと心配するのですが、意外と毎年新しいことが心に留まります。聖書の奥深い所です。で、今年特に思ったことは、イエス・キリストの心の広さです。
 イエス・キリストは十字架につけられるために逮捕されるのですが、その直前まで弟子たちはキリストと一緒に食事をし、お祈りをして過ごしていました。ところが、逮捕されるとみんな逃げ出します。そもそもキリストをユダヤの宗教指導者に売り渡したのがユダという弟子の一人でした。イエス・キリストの筆頭弟子を自認していたペテロ(ペトロ)という男に至っては、周りの人に「あんた、イエスの関係者やろ」と聞かれて「そんな人知らん」と3回も否定して逃げ出し、自己嫌悪に陥る始末です。
 ところが、復活したキリストはペテロやほかの弟子に出会っても、「よくも裏切ったな。地獄へ落ちろ!」とは言わず、「これから世界中に出て行って宣教(布教のことです)に励みなさい」と言うわけです。よくもまあ、こんな連中にそんな大切なことを任せるなーと思いますが、復活したイエス・キリストの姿というのは、キリスト教の中心的な教えである、愛とゆるしそのものだなーと改めて感動した次第です。
 それだけ広い心でゆるされたら、人間頑張ろうと思うじゃないでしょうか。イエス・キリストが十字架に架けられてよるべき大樹を失った弟子たちは、実は路頭に迷いかけ、昔の仕事にもどろうかなんて思っていましたが、宣教という大切な仕事を任されて、生きる目的とか人生の意味を再発見。これも嬉しいことだと思います。もっとも、イエス・キリストを十字架にかけた、ユダヤの宗教指導者たちがうろついてますから、すぐに宣教を始めることはできません。実は、弟子たちの活動が本格的に始まるのは、ペンテコステという出来事を経てのことになります。今年はペンテコステが5月になるので、その時期になって覚えていたらこの話の続きを書こうかと思います。
 そうそう、それと復活日で重要なことをもうひとつ。もともとキリスト教はキリストが活動する以前はユダヤ教であったわけで、ユダヤ教では安息日という礼拝をする日は土曜日って決まってました。ところが、キリストが日曜日に復活したので、そのことを記念するためにみんなが日曜日に集まり始め、土曜日の礼拝が日曜日に変わりました。そういうわけで日曜日という曜日はどうしても変更できない、外せない曜日です。もし友達がクリスチャンの場合は、日曜日に付き合いが悪くても許してあげて下さい。礼拝だけはどうしても行かねばならんのです。もっとも、クリスチャンのくせに日曜日に礼拝に行かないで遊びの誘いに乗るような友達がいたら、叱ってやって下さい(-_-)/~~~ピシー!ピシー!

 ところで教会の3大イベントは、イースターとクリスマスとペンテコステです。この3つのうちでもっとも歴史が古く、もっとも重要なのはまちがいなく「イースター」です。クリスマスはイベント性はありますが歴史的にはかなり後付けなもんで。この話も、クリスマス時期に覚えていたら書くことにします( ..)φメモメモ

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