牧師の仕事
昨日の礼拝では牧師の立場と仕事について書かれてある聖書の箇所を読みました。1世紀のギリシアの教会で、自分の気に入った牧師を立てて派閥を作るということが起こっていて、パウロという人がそれを戒める手紙を教会に書いて、その中で牧師の立場と仕事についてただすという内容です。聖書にはこういう醜聞(スキャンダル)記事が包み隠さず書かれていて、キリスト教徒よお前もか!って思いますが、案外こういうことって、いつの時代のどの世界にもあるようなこと。反面教師にして反省する謙虚さがないと同じ過ちを繰り返してしまうことになります。
ところでこの箇所に牧師の仕事は何だと書かれてあるかと言うとずばり「神の言葉を管理すること」です。神の言葉を管理するというのは、具体的には、礼拝で聖書の言葉を解き明かして語るということと、そのことを通して布教するということです。そして、神の言葉のビジュアル的表現として、聖餐式という儀式があるので、それを担当することです。要は一週間聖書を読んで毎週日曜日ごとに礼拝で聖書の話をするというのが牧師の仕事です。一般社会で働いている方から見れば、非生産的な仕事に見えるだろうと思うのですが、宗教というのはもともとそんなに生産的なものでもないだろうと思います。
結婚式場のパンフレットを見ていると、「専属牧師」がいますみたいなことが書いてあることがあります。牧師は日本では国家資格でも何でもないので名乗るのは自由です。でも本職から言わせれば、牧師でもない人に牧師を名乗られて不愉快極まりないと言うのが正直なところ。だいいち日曜日に結婚式場で仕事してたら牧師どころか、キリスト教徒でもないし。キリスト教式の結婚式がキリスト教の布教に一役買っているというのは全くの誤解で、結局キリスト教が冠婚葬祭宗教に堕落し、世間から誤解されていくことを助長するだけ。真剣にやってる者にとっては迷惑でしかありません。
今週も私の仕事は、聖書を読んでお祈りし、来週の日曜日に話すことをまとめるというのがメインです。「できませんでした」では済まないので、毎週ものすごいプレッシャーです。でもプロの牧師とは、このことを使命として生きている人間であり、このことに命をかけている人間なのです。
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