2007年04月30日
スナッパズー2
タコは最高難度だと書いたブログを見て妻がひとこと。
「作れるよ」
うそだ、作れるはずないと言っているうちに作って持ってきました。
コレ↓がタコです。

「写真撮っといたらー」と言われて、感じる敗北感。タコくらいですが、妻に負けるとすごく悔しい。こっそり練習しようかなんて思っちゃいます。
こういう時妻は「タコだ、すごーい」と喜べるタイプの人です。
夫は勝ち負けにこだわり、妻は損得にこだわるというのがウチ夫婦の法則みたいですが、男脳女脳なんでしょうか。ヨソ様はどうなんだろう?
「作れるよ」
うそだ、作れるはずないと言っているうちに作って持ってきました。
コレ↓がタコです。

「写真撮っといたらー」と言われて、感じる敗北感。タコくらいですが、妻に負けるとすごく悔しい。こっそり練習しようかなんて思っちゃいます。
こういう時妻は「タコだ、すごーい」と喜べるタイプの人です。
夫は勝ち負けにこだわり、妻は損得にこだわるというのがウチ夫婦の法則みたいですが、男脳女脳なんでしょうか。ヨソ様はどうなんだろう?
2007年04月30日
過越の祭り
昨日の礼拝では「過越の祭り」という今でも続いているイスラエルのお祭りの起源となった出来事についてお話しました。モーセという80歳のおじいさんが神様からリーダーに指名され、200万人くらいいるイスラエル民族をエジプトから約束の地(今でも戦争が絶えない現在のイスラエルあたり)に導き出すという話です。この民族大移動一大プロジェクトに、イスラエルを労働力として利用していたエジプトのファラオ(王様)は当然のことながら猛反発。イスラエルがエジプトを出て行くのを拒否しますが、神様がエジプトに次々と9つの災いを下しついに10番目の災いによってファラオは折れます。
この10番目の災いが、人間から家畜に至るまでエジプト全土の初子(長男)を打つという恐ろしい災いです。イスラエルは神様の命じた通り、羊か山羊をほふってその血を玄関の門柱とかもいに塗りつけます。その血が塗りつけられている家を神様の使いが通り越して(過ぎ越して)、イスラエルが救われるということになります。この日、ほふられた山羊または羊を焼いた肉と、イーストを入れないで焼いたパンと、苦菜と呼ばれる青菜・ハーブ類を一緒に食べるのが過越の食事。その食事をしながら子どもが父親に「この食事にはどういう意味があるの?」的なことを聞くと父親が「昔エジプトで奴隷になっていた時に云々」と話します。3000年以上昔から今に至るまでイスラエルの人の最も大切なお祭りとして祝われています。今年の過越は4月3日ですが、この時期のイスラエルはホテルでも過越の食事しかなかったりするとのこと。聖書には「永遠の定めとしてこれを行え」とか「在留外国人にも酵母を入れないパンを食べさせよ」とか書いてあるのでそれが守られているってことです。
ところでこの話を聞くと神様はひどいように思うのですがそうではありません。イスラエルはもともと飢饉を避けて70人そこらの人数でエジプトに移住してきて400年ほどの間に200万人にも人口が増えて、家族だと思っていたら民族になっていたという経緯があります。人口が増え続けるイスラエルの民族に恐怖を感じて長年奴隷のようにこき使ったのはファラオです。神様は再三にわたって、モーセの口を通じて、イスラエルをエジプトから出て行かせないと災いが起こるって予告もしたし、しまいにはファラオの側近たちも、「イスラエルを行かせないと災いが起こりますよ」って進言しました。ファラオが「行け」って言えば済む話なのに言わないからです。人間は自分のやったことは棚に上げて、神様のやることが厳しいって言いがちですが、キリスト教の神様は不正をそのまま許すほどは寛容ではありません。そうじゃないと正直者がバカを見ることになりますから。
神様の愛とか寛容とかいうのは、不正を見逃すことではなくて、不正なことをした時に、心を改めて神様に立ち返る人を無条件でゆるして、過ちをおかさないで生きる道に導くことにあるのです。
この10番目の災いが、人間から家畜に至るまでエジプト全土の初子(長男)を打つという恐ろしい災いです。イスラエルは神様の命じた通り、羊か山羊をほふってその血を玄関の門柱とかもいに塗りつけます。その血が塗りつけられている家を神様の使いが通り越して(過ぎ越して)、イスラエルが救われるということになります。この日、ほふられた山羊または羊を焼いた肉と、イーストを入れないで焼いたパンと、苦菜と呼ばれる青菜・ハーブ類を一緒に食べるのが過越の食事。その食事をしながら子どもが父親に「この食事にはどういう意味があるの?」的なことを聞くと父親が「昔エジプトで奴隷になっていた時に云々」と話します。3000年以上昔から今に至るまでイスラエルの人の最も大切なお祭りとして祝われています。今年の過越は4月3日ですが、この時期のイスラエルはホテルでも過越の食事しかなかったりするとのこと。聖書には「永遠の定めとしてこれを行え」とか「在留外国人にも酵母を入れないパンを食べさせよ」とか書いてあるのでそれが守られているってことです。
ところでこの話を聞くと神様はひどいように思うのですがそうではありません。イスラエルはもともと飢饉を避けて70人そこらの人数でエジプトに移住してきて400年ほどの間に200万人にも人口が増えて、家族だと思っていたら民族になっていたという経緯があります。人口が増え続けるイスラエルの民族に恐怖を感じて長年奴隷のようにこき使ったのはファラオです。神様は再三にわたって、モーセの口を通じて、イスラエルをエジプトから出て行かせないと災いが起こるって予告もしたし、しまいにはファラオの側近たちも、「イスラエルを行かせないと災いが起こりますよ」って進言しました。ファラオが「行け」って言えば済む話なのに言わないからです。人間は自分のやったことは棚に上げて、神様のやることが厳しいって言いがちですが、キリスト教の神様は不正をそのまま許すほどは寛容ではありません。そうじゃないと正直者がバカを見ることになりますから。
神様の愛とか寛容とかいうのは、不正を見逃すことではなくて、不正なことをした時に、心を改めて神様に立ち返る人を無条件でゆるして、過ちをおかさないで生きる道に導くことにあるのです。