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2007年04月11日

アルゲリッチ音楽祭

 今日から始まったんですね。大分に来るまで、こんなことやってるって知らなくて、街中のポスターで突然アルゲリッチの名前を見たときにはびっくりしました。何で別府にアルゲリッチが来るの??って思って調べたら、腰が痛いので温泉に入りたいとか何とか、まことしやかなことが書かれてあったのを思い出しました。まあ、どんな理由でもいいです。来てくださるなら。

 私にとってはアルゲリッチと言えばショパンのピアノ協奏曲1番です。高校生の時、レコードで聴いて感動。当時はFMでもよくかかっていたように思います。そのショパンがあまりにも強烈に印象に残りすぎて、考えてみると他の曲ってほとんど聴いたことがないです。本人は演奏するんかいと思っていたら結構何回か出演するみたいで、お金iconと暇iconがあれば絶対聴きに行きたいけど、どっちもない!残念。でも、子どもの手が離れたらぜひ行こうと思います。
 ところで今回のゲストでいちばん興味あるのはセルゲイ・ナカリャコフです。ロシア生まれのイケメントランペット奏者。ぜひ生で彼のトランペットを聴いてみたい。大分はクラシックコンサートはあまり多くないようなので、こういう音楽祭は大切に続けていって欲しいと思います。  

Posted by せさみん at 23:21Comments(0)音楽

2007年04月11日

スーパー小学生

 妻が見てた赤ちゃんサイトに「ふうか」のインタビュー発見↓
http://baby.goo.ne.jp/member/ikuji/asobi/4/02.html

 このふうかちゃんははっきり言ってすごい子です。スーパー小学生です。
コドモが見ていた「いないいないばあ」という番組を何気なく見ると、1歳~2歳くらいの赤ちゃんたちの前に、犬のキグルミと小学生の女の子発見。十人くらいのはいはいしている赤ちゃんを相手に歌ったり踊ったりしたり、折り紙と指だけで、一対一になって赤ちゃんを遊ばせたり、その技術は子どもを3人くらい育てたお母さんか、10年くらいやっている保育士さんくらい円熟していました。
 一応NHKのサイトで見ると、出演している赤ちゃんも選ばれたプロの出演者だということですし、もちろん他のスタッフもたくさんいるのだろうとは思うのですが、それを差し引いて考えても、あそこまでできるとはびっくりします。赤ちゃんとの関わり方だけではなくて、踊りや歌もすごく上手でした。隣で一緒に踊っている巨大な犬のキグルミ「わんわん」に負けないだけの大きなアクションと演技力には脱帽です。

 一家に一台ならぬ、一家に一人、こんなスーパー小学生がいたらいいなーなんて。  

Posted by せさみん at 18:51Comments(0)コドモ

2007年04月10日

今日から幼稚園

 今日は幼稚園の始業式。家=仕事場の私にとって待ちに待った日がやってきましたicon。コドモ①は年中に進級し、今しがた(8時過ぎに)幼稚園に出発。と言っても幼稚園は超近い(隣!)のでもう到着。始業式だからこんなに早く行く必要はないのですがコドモ①は一番乗りをしたかったようです。

 実は昔大阪の保育園で保育士として5年間働いていました。その頃はまだ保育士という言葉はなく、法律的には「保母に準じる者」、業界での呼び名は「男性保育者」。当時は同じ市内の保育園には男性の保育士は自分含めて2・3人しかいなかったように思います。全国的にも数が少なかったのでパイオニアの気持ちでがんばっていました。雇ってくれた園長の英断には今も感謝しています。今は男性の保育士が増えて、近所の保育園にもイケメン風のお兄ちゃんが何人か働いています。あの頃やってたことが今につながっているんだと感慨深いです。
 そんなわけで、今でも幼稚園に行くと自分の子どもより先生の動きや、言葉のかけ方、壁に貼ってある子どもたちの絵や作品の描かせ方やディスプレイ、壁面構成(大げさ!)などと呼ばれる壁の飾りなんかに目が行ってしまいます。自分が現場にいた時には自分自身がテンパって分からなかったことが、今冷静に分かるのが結構面白いです。先生たちの苦労のしどころが人一倍分かるだけに、感謝も倍増です。
 コドモ①は、去年、年少で入園した時から一年間、幼稚園に行くのを渋ったり嫌がったりしたことはほとんどありませんでした。本当は、始業式など行事の日の朝は色々準備があるのであんまり早くからコドモが行かない方がいいのに、と思いつつ、行きたくないと泣いているこどもがいるだろうと思うと、そんなに好きなら結構やんと思って送り出してしまいました。先生たち、忙しい朝にごめんなさいicon  続きを読む

Posted by せさみん at 09:03Comments(2)コドモ

2007年04月09日

鶴崎で獅子舞に遭遇!

 昨日仕事で鶴崎に行ったのですが、197号線にいきなりパトカーと警察官が出現、検問かと思いきや獅子舞が登場してびびりました。たむらけんじが大分にまで営業に来ていたのか?と思いきや、山車が登場。国道を止めてまで獅子舞が舞うなんて相当なビッグイベントだろうと思って後で調べたのですが、何の祭りかはっきりとは分からずじまいです。「劔八幡宮けんか祭り」というのが日程的には近いような気がするのですが…それにしても獅子舞を生で見たの久しぶりです。やっぱインパクトありますね。
 素直に40メートル道路で帰れば、よかったのですが、選挙もあるし、小学校に寄りやすい道を通ろうと思って松岡方面を目指したのが間違い。迂回路に誘導されてプチ渋滞に巻き込まれ、流されるまま乙津川沿いの道へでると、そこは桜並木。期せずしてお花見気分を味わいました。基本的に渋滞は大嫌いですが、思わずエンジン止めて見入りました。たまには渋滞もいいものです。  

Posted by せさみん at 16:19Comments(2)住む

2007年04月09日

イースター

 昨日の日曜日はイースター(復活祭)の礼拝でした。イースターはキリスト教でいちばん大切な行事です。え?クリスマスじゃないのって…クリスマスは世俗化してしまい、もはやキリスト教の行事だとは言えないほどに世間に浸透しているので、認知度は上ですが、教えの内容と、祝われてきた歴史という点から言えば断然イースターの方が重要です。キリスト教の信徒でもあまり理解していない人が多いんですが(^_^;)

 何はともあれ、昨日の礼拝ではイエス・キリストが十字架で墓に葬られて復活したという聖書の箇所から説教(聖書の解説とお話です)をしました。
 遺体を引き取りたいとの要望を受けて、十字架にかけられたイエス・キリストの死が、ローマから派遣されていた総督ポンテオ・ピラトと処刑の責任者であった百人隊長との間で確認されます。続いて、アリマタヤのヨセフという、心あるユダヤ人国会議員の手によって葬られます。私たちは火葬しますが、当時のイスラエルは土葬。ミイラみたいに遺体に布をグルグル巻きつけて、滝尾の百穴みたいな感じの横穴をお墓にして遺体を安置します。ところが十字架刑の行われた日は金曜日。金曜日の夕方から土曜日の夕方までは安息日という、礼拝のための日に定められていました。(当時のイスラエルでは夕方から一日が始まりました)夕方になって安息日が始まると色々な制限があって遺体を葬ることができなくなるので、埋葬は大急ぎで行われました。
 土曜日の夕方になって安息日が終わり、一晩明けた日曜日の早朝、イエス・キリストの生前、身の回りでお世話をしていた女性のうちの3人が、遺体に香油を塗るためにイエス・キリストの墓に行きます。遺体に香油を塗るのは女性の仕事だったということと、男性の弟子たちはイエス・キリストが逮捕されて十字架にかけられるときには、逃げ出していていなかったからです。(不甲斐ない男たち!!)
 2人の女性は気合を入れて朝早くから出かけてますが、墓の入り口には盗掘を防ぐために巨大な岩が置かれていて、誰かにどかしてもらわないと中に入ることができないということを思い出します。それでこの3人の女性たちは「誰が岩を動かしてくれるかねー」なんておしゃべりしながら、のんきに(無計画に!)墓にやってきてみると、あら(*_*)びっくり。例の重たい岩がどかされて、中には天の使いが座っているではありませんか!
 天の使いが言うには「十字架にかけられていたイエスはここに葬られていたけれど、よみがえったのでここにはいません。生前に約束していたようにガリラヤで再会するつもりなので、そのことを(裏切って逃げ出した)弟子たちに、特に(3回もイエス・キリストとの関係を否定した)ペテロに伝えて下さいね。」気が動転した女性たちは驚いて脱兎のごとく逃げ去ります。その後弟子たちは復活したキリストに出会い、神様から下された聖霊の助けによって、人が変わったように布教に励むようになります。

 キリスト教では、イエス・キリストが死から復活したことにより、すべての人の復活が可能であることが証明されたと考えます。私たち人間もこの世での生涯を終えたら終わりと言うのではなくて、もう一度新しい肉体と永遠のいのちをもらって復活し、将来神様が再建する新しい世界で生きるということが約束されるということです。よく、死んだら天国に行くと言われますが、天国は実体のない魂がフワフワ生きている世界ではなくて、新しい肉体をもらってよみがえった人間が神様と一緒に生きてゆく世界であって、木も草も川もあれば家もあるという世界です。
 もう一つ大切なことは、今まで土曜日だった安息日という礼拝の日が、キリストの復活を記念して、日曜日に変更されたということです。礼拝の曜日を変更するというのは、宗教上はとてつもない大変更なのですが、すでに1世紀のうちに日曜日=礼拝というのが習慣として定着したことが分かっています。イースターというのは年に一回だけですが、日曜日に礼拝をしているということ自体が、イエス・キリストの復活を記念することになります。なので、日曜日という礼拝の曜日はとても大切で、人間の都合で変えることはできません。

 キリスト教信徒は、この超非科学的かつありえない「復活」ということを、仮死状態からの蘇生とか、心の中で生き続けたとかいうことではなくて、本当に死んで本当によみがえったのだと信じています。そして、そのことによって、自分もやがて天国へ入れていただいて神様と共に生きるという目標を持ちます。死んで終わりならば、他人に迷惑をかけない程度に楽しいことをして、おいしいものを食べて生きようという人生哲学もアリですが、死んでもその先があると思えば、その先のことを考えて生きる人生もアリだと思います。復活を信じるとは、自分の経験や知識を積み重ねてすべてのことを判断する人生から、まだ見ぬ天国への希望や、人間を超越した神様から与えられる導きから逆算して人生を生きる生き方へのシフト、つまり人間中心から神様中心への視点の転換を促すので、まさにキリスト教の信仰の根本をなすものだと言えるでしょう。  

Posted by せさみん at 10:49Comments(0)聖書

2007年04月06日

波当津

 NHKの「ハイビジョンおおいた美の風景」で波当津海岸が映ってました。残念ながらうちにはハイビジョンのテレビはありませんが、とても美しく撮影されていて感激しました。
 波当津にはおととしの夏、家族で泳ぎに行きました。蒲江に親戚がいる関係で、蒲江までは何度か行ったことがありましたが、その先ははじめてでした。マリンカルチャーセンターのある元猿海岸から、くねくねした細い山道と海沿いの道を通ってさらに小一時間。遠かったですが行ってよかったです。まさにおおいた美の風景にふさわしいすばらしい海岸です。
 大分にはたくさん海水浴場があって、どこも広いし水はきれいだし最高です。でも波当津はその中でも特別です。まず砂がキレイです。何時間でも踏んでいたいような気持ちいい細かい粒子の砂。波が寄せては返すたびに、砂浜にできる模様。あの砂の感触は忘れられません。それにびっくりするくらいの遠浅で、かなり沖まで歩いても頭の上まで水が来ることはありません。日差しの強さ、海の色の青さ、海中の魚の美しさ、さんご礁の北限だけあって、そこはもう日本というよりも南の島さながらです。周りにいる人たちは思いっきり日本人、駐車場のおじさんも思いっきり大分顔であることを除けば…
 また行きたくなりました。早く夏が来ないかなと思います。  

Posted by せさみん at 22:45Comments(2)遊ぶ

2007年04月06日

メールが…

 松坂のことを書こうと思っていたら、それどころではない大変な事態が発覚。最近メールが来ないと思ってたら…プロバイダーのメールサーバーが1002通のメールで満杯になっていて受信不能になってました。削除すると復活。仕事用のアドレスでは順調に受信していたので、気がつきませんでした。プライベートのアドレスは使い始めてまる7年。プロバイダもアドレスもずーっと変えることなく愛用して来たのはよいのですが、ここのところスパムメールが大量に送られていたのでそのせいのようです。
 この一週間プライベートアドレスにメールしてくださった皆さんにごめんなさいと言いたいところですが、誰がメール下さったのかも分からないので仕方ありません。ネット歴8年目にして意外な盲点、気をつけねば。  

Posted by せさみん at 08:36Comments(0)仕事

2007年04月05日

大分3連勝ならず

 朝日新聞の見出しです。どのチームもJリーグとナビスコカップの両立はなかなか難しいみたいですね。特に選手が少ないトリニータは大変だと思います。シャムスカ監督も、連戦の疲れを取るために休ませるために選手を入れ替えたことが影響したかもと正直なコメントでした。それでも(出場した19歳以下の選手と、松橋優選手への評価は)の質問には、それぞれの選手をほめてねぎらうコメント。
 負けてもこんなにいいコメントができるシャムスカ監督ってつくづく人格者だなと思います。新入社員が選ぶ理想の上司NO1はヤクルトの古田兼任監督だそうですが、シャムスカ監督も理想の上司ですね。  

Posted by せさみん at 08:57Comments(0)トリニータ

2007年04月04日

145杯のみそ汁

 マルショクの味噌売り場にいろんな種類のみそ汁が載っているポスターを発見。「もずくとゴーヤのみそ汁」「ひき肉とほうれん草のカレー風味みそ汁」など、かなりファンキーなメニューがたくさん載っていて目を引きます。よく見るとフンドーキンのポスターで詳しくはWEBでということで、見てみるとこれでした。↓
http://www.misosoup145.com/
 これは面白いです。春キャベツとポーチドエッグ、青菜と豚ミンチ、モロヘイヤとウインナーあたり作ってみようと思います。
 うちは毎日みそ汁を食べる習慣がない家なので(朝はパンだし、夜は面倒だし)みそ汁を作る時には気合を入れて変わったものにチャレンジします。今まで試した具材でお勧めはコレ。
①ベーコン。いりこのだしに深みが加わります。
②柑橘系の汁を数滴。味が引き締まっておいしいです。
③焼きナス。香ばしくって超お勧めです。
④ブルーチーズを隠し味程度。みそとチーズは相性抜群。
⑤くろめ。大分に来て始めて食べました。くろめはおいしいですね。入れた瞬間色がパアっと変わり、卵の白身みたいなとろとろが出てきた時には感動ものでした。145杯に入ってないようですがぜひ加えて欲しい一品です。
 フンドーキンはTVCMも独特の世界があるし、コマーシャルがうまいですね。こういう企画って誰が出してるんだろうと感服します。
 
  

Posted by せさみん at 08:19Comments(0)食べる

2007年04月03日

ニホンザル鳴き声選手権

 iconニホンザル鳴き声選手権iconの様子が昨日のニュースで流れてました。優勝した男の子は本当にサルが来たのかと思うくらいのすばらしいサルっぷり。昨年から始まったそうですが、なかなか面白い企画だと思います。人間がサルから進化したというのは嘘だと思いますが、迫真の演技でサルのまねができるという人間ってすごいなと思います。
 高崎山には大分に住む前に行ったことがあります。妻の実家に帰省した時、まだ1歳だったコドモ①を連れて登りました。てっきり柵とか、防護壁とかあるんだと思っていたら全くのフリー状態でびっくりしました。コドモ①はまだ小さかったためかキョトンとしていました。妻は幼稚園児の頃、高崎山のサルに、手に持っていたびんジュースを奪われたことがあるそうで、かなり警戒してました。
 私も1歳くらいの時に、両親と祖母に連れられて岡山の高梁市にある臥牛山という山にサルを見に行ったらしいのですが、全く覚えていません。学生時代に住んでいた大阪では、友人と箕面という所にサルを見に行きましたが、ほとんどサルは見られませんでした。観光客に被害を与えるので山奥に追いやっていると聞きました。そういう意味では、私にとっては高崎山が始めてのサル体験です。コドモ①もだいぶものが分かるようになって来たのでもう一度行こうかなと思う今日この頃です。  

Posted by せさみん at 09:05Comments(0)遊ぶ

2007年04月02日

全員攻撃大分ドロー

 今朝の朝日新聞の見出しです。4連勝のグランパスの記事はほんのちょびっと。レッズ戦ということもあったかもしれませんが、朝日新聞の扱いは相変わらずいいですね。名古屋だと逆なんでしょうか??日本代表・元日本代表だらけのレッズと、いい試合だったのではないでしょうか。スポーツニュースでは移りが少なかったので、ローカルニュースのチャンネル回しまくって西川選手の上がりと深谷選手のゴールを確認。生で見られた人は幸せだったろうなーと思います。
 夏までには一回九石ドームに行くぞ!と市報の市民招待券に応募しました。(チケット買えって…)

 ところで朝日新聞からプレゼントもらいました。これです→
アスパラクラブ(朝日新聞のサイト)のキャンペーンで当たったティファールの鍋セットです。今年はじめての高額当選です。決して朝日新聞の回しものではないのですが、去年も色々当たったのでなんとなく義理を感じてしまう今日この頃。ありがたく使わせてもらいます。  

Posted by せさみん at 09:08Comments(0)トリニータ

2007年04月01日

受難週です。

 キリスト教のカレンダーでは受難週という期間に入ります。受難週というのは十字架にかけられたキリストの苦しみを心に留め、そのことによって救われたことを感謝する気持ちで過ごす一週間です。受難週が終わると来週の日曜日が復活祭(イースター)になります。カトリックでは受難週を含む受難節という40日間は、断食をする日があったり、自分で決めた節制を実行したりするそうです。うちはプロテスタントなのでそういう定めはありませんが、やはり、十字架のキリストのことを思うと、贅沢したり、遊びに行ったりするような気持ちにはならないものです。
 キリスト教では「人間が神に対して罪を犯し、その刑罰をイエス・キリストが身代わりに受けるために十字架にかかり、その結果人間は永遠のいのちをもらって天国に行ける」と説明します。こういう話をすると、納得して下さる方もあれば、「そんなうまい話ありえない」とおっしゃる方もあります。罪を犯してきたことを自覚し、このありえないようなうまい話を疑いもなく信じて、イエス・キリストの十字架による救いを人生の基盤に置いている人たちがキリスト教の信徒です。
 教会の礼拝では十字架について書かれてある聖書の箇所が開かれ、そこから説教(叱ることではありません、聖書のお話をすることです)を行いました。信徒とは言え十字架を人生の基盤に置いている割には、日常生活の忙しさの中で自分中心の生活になりがちです。毎年めぐってくる受難週ですが、自分の信仰を見直し、信仰が生活に反映されているかどうかを自己吟味する大切な時なのです。  

Posted by せさみん at 17:56Comments(2)聖書