2007年07月17日
おばあちゃんの草履
岡山にいる祖母が作った草履です。

色違いやコドモ用もあります。

私の祖母なので、コドモたちからすればひいおばあちゃんにあたります。1916年10月生まれ、大正で言えば5年生まれの90歳。戦争を経験した貴重な世代です。幼い頃家が貧しく、兄弟が奉公に出されましたが、自分は何とか親元で育ったと聞きました。
はぎれの細い布で草履を作るというのは最近の熟年世代が読む健康雑誌に特集があったらしく、それを見て作りはじめたとのこと。草履を作る技術自体は小学生の頃身につけたそうです。他の子どもたちは親に作ってもらった形のいい草履を履いていたのに、自分は親に作ってもらえなくて自分で作った形の悪い草履を履いていたということをよく話してくれました。
祖母は母の母。嫁姑ではなくて親子です。いろんな事情で、ずっとうちで同居していたので父の方が気を遣ってました。祖母のおかげで母は定年間際まで看護師の仕事を心置きなく続けることができ、私たち3人の兄弟は育つことができました。特に長男の私はおばあちゃんっ子で、今でもかわいがられています。何の恩返しもできないので、コドモの写真を時々送っています。
粗食に耐えて、体を動かし続けた世代。老衰はありますが、内臓は一切悪くありません。足腰も元気、耳もよく聞こえます。100歳まであと10年。これからも元気でいて欲しい祖母です。
ところでこの草履、この季節にはとても快適です。スリッパの代わりに履いています。昔ながらのものの良さを感じるようになった今日この頃。歳をとったのか大人になったのか…

色違いやコドモ用もあります。

私の祖母なので、コドモたちからすればひいおばあちゃんにあたります。1916年10月生まれ、大正で言えば5年生まれの90歳。戦争を経験した貴重な世代です。幼い頃家が貧しく、兄弟が奉公に出されましたが、自分は何とか親元で育ったと聞きました。
はぎれの細い布で草履を作るというのは最近の熟年世代が読む健康雑誌に特集があったらしく、それを見て作りはじめたとのこと。草履を作る技術自体は小学生の頃身につけたそうです。他の子どもたちは親に作ってもらった形のいい草履を履いていたのに、自分は親に作ってもらえなくて自分で作った形の悪い草履を履いていたということをよく話してくれました。
祖母は母の母。嫁姑ではなくて親子です。いろんな事情で、ずっとうちで同居していたので父の方が気を遣ってました。祖母のおかげで母は定年間際まで看護師の仕事を心置きなく続けることができ、私たち3人の兄弟は育つことができました。特に長男の私はおばあちゃんっ子で、今でもかわいがられています。何の恩返しもできないので、コドモの写真を時々送っています。
粗食に耐えて、体を動かし続けた世代。老衰はありますが、内臓は一切悪くありません。足腰も元気、耳もよく聞こえます。100歳まであと10年。これからも元気でいて欲しい祖母です。
ところでこの草履、この季節にはとても快適です。スリッパの代わりに履いています。昔ながらのものの良さを感じるようになった今日この頃。歳をとったのか大人になったのか…